日本たべもの総覧

日本たべもの総覧(15)

金山寺味噌【きんざんじみそ】

みその加工品で、年齢や性別に関係なく愛用されているものに、いわゆる「なめもの」がある。金山寺味噌はなめものの代表格で、中国の寺院から伝えられたといわれている。炒った大豆と麦の麹に塩を加えて仕込み、瓜や茄子などの一夜漬けを刻んで混ぜ、重石をかける。さらに麻の実や生姜の刻んだものを入れ、約9ヶ月間密閉して置いてつくる。生のきゅうりなどに付けることも多いが、そのまま食べてもうまい。ただ最近は砂糖などで甘味をつけたものが多くなっている。

鯛味噌【たいみそ】

鯛の身を水に晒して細かく切り、火で乾かしながらほぐしてソボロをつくる。これを砂糖・味醂で煮てデンブとし、さらに「こしみそ」と水あめおよび澱粉を加えて、焦がさないように練り上げる。光沢といいまったりとした口当たりといい、贅沢な食品であるが、現在では「鯛みそ」といっても甘鯛をはじめ平目や鱈を用いたものが多く出回っている。

鉄火味噌【てっかみそ】

ふつうの赤みそに、唐辛子や炒った大豆や刻んだ牛蒡を混ぜ、砂糖を加えてごま油で練りながら煎り上げたなめみそ。このほか麦麹に砂糖を加えた「桜みそ」や「ゆずみそ」「ふきみそ」「えびみそ」など、なめみそには多くの種類がある。

醤油・溜まり【しょうゆ・たまり】

味噌と醤油は元来、一つのものであった。もっとも原始的な調味料である塩の次に、塩と魚類や穀類を熟成させた調味料が作られるようになった。

このうち大豆と塩から造られたものが「鼓(みそ、または、し)」であり、さらに麦が加わったのが「醤(ひしお)」である。大宝令(701年)にいう「醤院の制」で扱ったものや、高僧鑑真(がんじん)が中国から伝えられた調味料は「鼓」または「醤」の類と思われる。

「醤」は「もろみ」で一種の「みそ」のようなものと考えられる。このみその上をへこませて笊(ざる)を置き、みそ溜まりの上澄みを採ったが、これを「たまり」と称した。

この「たまり」が醤油の前身で、やがて汁を採るようになった。「たまり」は現在でも愛知県地方で作られるが、普通は大豆と小麦を用いるのに、大豆だけを用いるために「豆油」という字をあてている。

醤油が造られたのは戦国時代からといわれ、江戸時代に入って発達した。京都に生まれた醤油が商売となって広まったのは紀州の湯浅からだとされているが、全国の漁船が集まる千葉の銚子港にも紀州の漁師が醤油を伝え、利根川流域で醤油の醸造を始めた。

現在の「キッコーマン」「ヤマサ」「ヒゲタ」など大醤油メーカーはいずれもこの系譜に属する。こうして江戸時代には旧来の「たまり」(みそ垂れとも呼ばれた)、「豆油」の「たまり」と3種類が併用された。

現在のように醤油が発達したのは、幕末から明治にかけてのことである。関東では「濃口」をもっぱら用いるが、関西では「濃口」のほか「薄口=淡口」を用いる。最近は関東でも仕上がりの色を考慮し「薄口」の利用者が増えている。

参考資料「日本たべもの百科」新人物往来社刊

調理師の求人・求職
永朋舎Youtubeチャンネル

日本たべもの総覧[目次]